わたしが死んでも生きた証はここにあるとして 


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近況報告

ご無沙汰してます。

去年から色んなことがありました。
簡単にですが報告がてら投稿します。

去年の11月16日、祖母が亡くなりました。
こんなに苦しい悲しみを抱いたのは
きっと生まれて初めてのことだったでしょう。
必死に、気丈に、振る舞えば振る舞うほど
眠り、やがて花となり風となり骨となった
祖母のことを想うと、
日に日に悲しみは強くなります。
柔らかな砂に埋めていたはずのものが、
風に攫われて形が露わになるように。


介護の関係上、
家に母がいなくなりました。
私は仕事のストレスと家事の両立により、
今年の初めに、精神を壊しました。
うつ病、と診断されました。
いろんなことが重なりすぎました。
自らが出していたSOSに気付いてあげられませんでした。
うつ症状が強く、泣いたり、ODをして昏睡状態に陥ったり、
自棄を起こしたり、PTSDを起こしたり、しています。
仕事を休養して、5ヶ月になります。

仕事は楽しいし、戻りたいです。
会いたい人がたくさんいます。やりたい仕事がたくさんあります。
男性に身体を見られ、触られ、侮辱され、見下され、這い上がれない、
そんな社会が未だにあることを、自ら経験しました。
私は肉便器だという洗脳が消えません。
それどころか自分の価値が分からなくなりました。
私には、便器以外に、仕事が唯一の価値だと思っていました。
もうなんの価値もありません。


2月初めに、恋人とお別れをしました。
こんな私のせいで彼の将来を振り回したくなかったからです。
相手はもう嫌いでしょうけれど、私はきっとずっと好きです。
心から好きでした。
きっと彼以上に、私の総てを知っていてくれた人は
現れないのだろうと思うので、総てに蓋をしました。
「幸せに生きてね、貴方なら絶対できる、応援してるよ」と
頂いたバースデーカードは、一生の宝物です。


大好きな文鳥が日に日に老化していきます。
病気を患い、老齢なこともあり自宅で見守ることを決めましたが、
それが果たして良い選択なのかは誰にも分かりません。
毎日元気でいてくれますが、大好きだった水浴びはしなくなりました。
飛ぶと落ちてしまうので、放鳥を禁止にしました。
今はカゴの中に手を入れて、手とだけ戯れてくれています。
今年で8年目です。
2008年8月8日に飼ったので、名前が「はち」になりました。
8年生きたらいいね、そんなの有り得ないよ、なんて話を
当初私たちはしていたのをはっきりと覚えています。

彼とは私の人生の3分の1を共に過ごしています。
思春期も挫折も成長も全てを見守ってくれました。
彼がいない世界が考えられません。
「おやすみ、また明日ね」と今日も声をかけたので、
また明日も会えるだろうと、そう願う毎日です。



私の体調は、上がり下がりを繰り返しながらも元気です。
死ぬ以外のことはするでしょうけれど、死にはしないと思います。
祖母が悲しむでしょうから。
もう少しだけ頑張って生きてみます。
それではまた。




| 日常 | 22:48 | comments(0) | trackbacks(0) | |
それよりも雨雲が気にかかるふりで

おはこんばちわ〜
気付けば9月でしたね。8月終わり〜9月始めまでの記憶はあったのにそれからの記憶がありません。
いつも言ってますが死んだように生きてました。今は生きてます。生きてますって。
本気で死にたくて未遂までしたけど死ななくてよかった。
何にそこまで追い詰められていたかは解決したことなので割愛。


今週始めに高熱を出した話をしましょう。

喉が痛くて寒気がして、あ〜風邪かなと最初は思ってたんですが今回ばかりは喉の痛みがとんでもなくって。
喉からくる風邪の痛みが3倍くらいになって束になって襲い掛かってきた感じ。
経験したことのない激痛でした。そのあと悪寒がひどくなって38度。
会社へ行くもすぐに早退して、寝ても醒めても拭えない痛みと気怠さに苛まれ。
解熱剤を飲んで無理やり寝るも、翌日は早朝からひどい悪寒と39度。
こりゃいかんと思い病院に行くと「急性扁桃炎」でした。はじめて。
今後熱が下がらなかったら入院、とまで言われましたが薬を飲んだらスコーーーンと治り。
怒涛の5日間でした。

高熱にうなされている時は、身体中は痛いわ、鳥肌は止まないわ、めまいはするわ息苦しいわ、
おまけに喉の激痛で食欲もわかず食べられもせず、しんどい…くるしい…早く治れ…とばかり思っていましたが
いざ治ってみると、あの非日常感、非常識感の楽しさといったら。もう。
どんなに疲れたって打ちのめされたってあんな苦しいこと、自ら率先して体験できるわけじゃないんですよね。
私の身体の抗体が発揮できる最大限の戦いを、私の内部で繰り広げていたということ。
合戦が終わったあとは血だらけの痰を吐きました。私は戦いに勝利した。
ん〜楽しかった。

会社含め関係者方々には多大なるご迷惑をおかけしましたので大変申し訳ないし不謹慎なんですが。
久々にあの非日常を体験してなんだかワクワクしたというだけの話でした。
二度と味わいたくないけどな!

余談ですが、喉の奥の気持ち悪さには本気で卒倒しそうになりました。
あんな気持ち悪い私見たの初めて。
あんなになったら人間終わりだよ。
今度気持ち悪い人見かけたら扁桃炎みたいなやつだなって悪口言おう。

 




| 日常 | 10:48 | comments(0) | trackbacks(0) | |
救いであれ



制作期間です。
8月に2つ、9月に1つ、たぶん11月に1つ、展示会に出品します。
描く枚数は諸事情もあり合計で3つですが、こんなに描くのは大学卒業してから初めてなのでドキドキしています。
毎日のように、パネルやキャンバスや紙と向き合って試行錯誤する時間がたまらなく愛しくいです。
わたしが手を動かせば動かすほど愛しいものが生まれてきます。見守ることも楽しければ完成させていくことも楽しい。わたしはわたしの描く絵によって救われているのだと痛感します。
利き手は死んでも手放したくありません。

絵を描く行為に定義づけをしたくありません。商売や社会性やマスターベーションなど人によってさまざまだからです。わたしにとってもその時その時で役割が違ってくるんだと思います、だからわたしの絵にこれといった定義づけはしません。
ただ、わたしが救われたいから描きます。
救われるためです。辛いも悲しいも愛しいも幸せもわたしがわたしでいられるために描くものです。心の安定やストレスの発散などほんとうにたくさんの広い意味合いで救いであってほしいのです。
誰かの救いであってほしいなんておこがましいことは言えません。ただもし、誰かが気にかけてくれて、今後のその人の生活に何かしらプラスになる感情を抱いてもらえることができたら、それはわたしの救いにもつながるのだと思います。
救いであれと願うばかりです。


眠くなっちゃったな。

また今度書きます。




| 考えごと | 01:31 | comments(0) | trackbacks(0) | |



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